デスクワーク後、亀戸のお客さんのトコへ行って打ち合わせ。更に亀戸の工場、墨田の板金屋とまわって一旦帰社。細かい書類を片付け埼玉八潮と草加へ。途中高速を使って北区の豊島。最後は高速で一気に八丁堀のお客さんのトコへ。帰社して、不良品の復元やらサンプル作成やら、ノッポさんになってコリコリ工作。午後10時半終了。毎度々々のスナックで一杯。午前1時半に帰宅・就寝。

寝る週末。

2004年11月14日
フツカヨヒで終日ダメダメでした。
洗濯して、先週にようやく買ったDVD『ドーン・オブ・ザ・デッド』を見る。裏話のよーな特典は、まぁ見ることは見るがニ度目はないなぁ。本編はディレクターズ・カットとのことだったが、期待したほどでなし。
ま、期待してたのってバクバク人を食べるゾンビのシーンなのだからこちらがダメ人間なのやも。

資金不足につき、今月発売のDVD『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド 死霊創世記』と『死霊のえじき 完全版』は来月まわしに。あッ、『メガフォース』も早いトコ買わなくっちゃ!

今月の散財リストは今週あたりにまとめよう。

夜もひとり飲んで、TRPGのルールブックなぞちらちら読んで終了の休日でした。

飲む週末。

2004年11月13日
朝8時に出社。埼玉八潮に行って梱包屋さんを二軒ハシゴ。梱包指示にチェックにとあれやこれや。工場へチェックにも行って、昼過ぎに切り上げる。

夜は大学時代からの友人HSが新小岩のアパートに来訪。とっときの雪中梅を開けて飲む。旨し。彼が帰ってからもひとり飲み続けて強かに酔いました…
社長は昨晩に出張から帰還。朝イチから報告やら何やらと色々と二人会議。デスクワークの後、亀戸・埼玉八潮とぐるぐる回る。
夜は錦糸町の某量販店にて閉店後の仕事。テキパキ進んで、2時間かからずに終わる。お客さんを自宅まで一回乗り換えで帰れる駅まで送ってようやく終了。日付けが変わるコロにいつものスナックに寄って一杯。明日も仕事だが、午前中で終わらせるツモリ。

D&Dの日でした。

2004年11月11日
仕事、朝イチから午前は梱包屋に釘づけ。昼の時間を使って千葉ニュータウンの某大型店でお客様と待ち合わせ、商談なぞ。埼玉八潮経由で南千住、亀戸の駅ビルとめぐって何とか午後7時ちょい過ぎに終了。

都内某所にて久々にD&D3e。いつものキャンペーン。やっとこ何とか遊ぶ時間をつくれて嬉し。今回のシナリオはまだまだ先がありそうです。

仕事仕事仕事ッ!

2004年11月10日
14日に練馬でのお神輿のお誘いが来たものの、今週末はいいかげんに部屋の荷物をまとめねばならンからと断腸の思いで不参加を告げるのココロ。…そぉ、まだ段ボールが山積みなのよ。

朝イチから葛飾の部材屋さん。デスクワークにあちこち電話、FAXにメールにと片付けて埼玉八潮→葛飾のシルク印刷屋→また埼玉八潮で、最後は梱包屋さんで商品のサンプルを仕上げる。帰社して明日の仕事の準備をあれこれして午後10時終了。
結果的にはお客さんの勘違いだったクレームやら、下請けの工場のミスやら、部材の配送の遅れやらに一日追い回されてました。その合間々々にクライアントと工場で待ち合わせしての商品チェックやら、梱包屋での指示やら、納品のトラックの手配をまとめてこなしたりで大回転の一日。

いつになったら趣味日記に戻れるのやら。たっはー…

そしてまた…

2004年11月8日
…東京の日常へ。今はここでやるコトをやるのみです。

朝から、出張中の社長の手配ミスの尻拭いであたふた。埼玉八潮をいったりきたり、夕方には図面をもったお客さんが急に来社したりで、細かいデスクワークをこなせたのはもう午後8時をまわってから。

帰りしな、いつものスナックで一杯飲って就寝。午前2時。あっと言う間にいつもの生活ですなぁ。

小千谷報告。

2004年11月7日
さて、何から話したものか。

僕の勤める会社の協力工場の社長は、仲間と様々な場所でボランティア活動をされていて、今回の地震でも現地へ炊き出しにゆくことになりました。7月の新潟・三条の水害の際は仕事が外せずにお手伝いできなかったのですが、今回は二つ返事です。2tトラックに機材とあらかた下拵えをした食材を積み、乗用車とニ台、6人での現地入りです。闇雲に現地へゆくのはボランティアの現場では帰って迷惑で、今回もボランティアを統括するセンターから割り当てられた地域へ。往路にかかる時間は7〜8時間だろうと予測していたものの、前日に関越が開通したので日付けの変わるころには小雨そぼ降る小千谷に到着です。

関越は開通はしたものの、SAで軽油の給油ができるのは塩沢石打まで。越後川口SAはレギュラーのみの給油で、しかもトイレも使用できないとのコトでした。小出からは一車線での50キロ制限での通行。往路では雨と暗闇でわからなかったものの、遮音のためのつい立てやらガードレールはメチャメチャな状態で、道沿いの山にも崩れてる箇所が散見されます。開通を優先事項に敷き直したろう路面は段差がひどく、帰省に使う高速だけに状況の悪さがわかるのです。

僕の実家からは100キロと離れていないのに、この状況は何だろう。

小千谷の市街地を抜け、割り当てられた場所へ。雨のむこうに、歪んだり半壊したりの家があちらこちら。全壊して、ユンボで掻き集められてる途中の家もありました。道を尋ねた警官は茨城からの応援で、全く地理がわからずに参りました。そこらじゅうに停まっている車の中で休んでいる人も見受けられます。とにもかくにも、トラックの助手席で仮眠。

なかなか寝つけずに気がつくと雨は止んでました。現場でのドタバタと言うか、センターからの依頼は昼に二ケ所での炊き出しだったのですが、急遽朝にもやることにしました。社長たちは元々こうなるコトも見越していて、食材は充分に用意してきたのです。水道は復旧したもののまだ飲んじゃ駄目と言われているらしく(「でも飲んじゃったヨ」と呵々と笑い合うオバチャンたちの逞しいコトよ)、ガスの復旧はあと2〜3日はかかるとのコト。暖かいものは、何と言っても御馳走なのでしょう。
昼にはアツアツの寸胴をトラックの荷台に積んで、指定された団地へニ往復。ガタガタ揺れる荷台の外に流れる町並みは、傾いでいるものやら立入り禁止にされているものやら。
また、全国から派遣されてきた健康管理の職員に医師、老若さまざまなボランティアの方々、道を掘りかえしてガス管の復旧に励む人たち。

たしかに不満を吐き出す人や、キレる人たちはいるのかも知れませんが、少なくとも僕の会った現地の人たちは、他人への思いやりのココロや日常を維持しようとする意志に溢れていました。団地で軒先を借りた若い夫婦に、ひと段落したときに「場所も借りたしもうちょいとよそっていきましょうか」と声をかけると、「もういただきましたから、他のひとたちの分にまわしてください」との返事。「御馳走様でした、風邪ひいたりしないでくださいね」と声をかけてくれるおばあちゃん。
さて、僕はこうも自然に他人への思いやりを口にできるか。

詐欺やらボランティアに姿を借りた泥棒やら、どうしょうもない連中も溢れている。でも、ほぼ総ての人たちは日常を取り戻すべく前を向いて歩いてゆくコトだろう。それが市井に生きる者の剛さだと、信じたい。そして、チョンの間でも力を貸せたなら、僕にとっては嬉しいコトだ。まだまだ復旧には時間がかかるだろうケド、また機会があればきっと。短い経験でしたが、報告までに。


…ちょいとウケた話。炊き出しに並んでたオバチャンとの話なのですが。自分の子供が「地底人が騒ぎっぱなしで地震が止まない」って言ってるンだそうな。しかも、余震が夜に多いので「地底人は夜行性だからなんだ」とのコト。とっととマントルに帰れよ地底人!!
朝早くから社長と引き継ぎやら打ち合わせやら会議やら。二人で会議も何もないもンだが。午前10時半終了、社長は午後の成田の便に乗るべくいそいそと帰宅し、こちらは商品のチェックに部材の納品に来週納めの品の納品打ち合わせやらで埼玉八潮をあちらこちらに。午後5時半に帰宅して、これまたいそいそと着替えと荷物をまとめて知り合いの社長宅へ。新潟は小千谷での炊き出し詳細は11/7の日記にまとめて書きます。
夏からこっち、ずうっと忙しいなぁ。ちょっと腐ってます。

2時間ほど寝て、もう出勤時間。足立、埼玉八潮、南千住とまわって帰社してひたすらのデスクワーク。7時に六本木で会えないかってなお客様からの呼び出しは何とか断る。5日で、おまけに週末だしなぁ。
明日から出張の社長と引き継ぎやら打ち合わせやら。結局終わらずに明日の朝から続きをやる羽目に。明日も仕事。

…で、日曜だけですが新潟に炊き出しのボランティアに行ってきます。明日土曜の夕方に出発の予定。

えれくしょん終了。

2004年11月4日
どちらになっても、ウチの国への余波は相当なモノだったワケで。我等の世代も時代の車輪にひき潰される順番がまわって来るのだろう。

言いたいことは山程あれど、何せ多忙なもので…まずは自分のやるコトをしっかりと。

ローマ崩壊のきっかけとなり、ヨーロッパに永い暗黒時代をもたらし、イスラム社会へは残虐な侵略。寛容と愛の名のもとに、どれだけの災厄を世界にばら撒けば、彼の教えを信じる人々は正気に戻るのだろう。

午前、デスクワークのあと日比谷へ。神楽坂経由でいったん帰社、見積りをまとめてすぐに埼玉八潮へ。帰社、工具をまとめて渋谷へ行きデパートで作業。社長を打ち合わせしてひたすらMacで図面書き。午前様になってもまだ終わらない。

↑5日朝4時終了でしたとさ。

えれくしょん。

2004年11月3日
たまった洗濯物と格闘の休日。久々に楽しもうとしたワイドショーは、どの局もアメリカ大統領選。昼食、夕食と近所の食堂ニ軒試してみるも、いまいちピンとこない。トイレとひとつながりの風呂場全体の掃除で全身ズブ濡れになる。あとはPS版ウィザードリィ、シナリオ3。アイテムリストがあとひとつ("兎の足")でコンプリートなのにじぇんじぇん見つからない。"トロルの指輪"なンて六つも見つかったのにィ。夜は4chの所さんの番組、吹奏楽特番をついつい見入ってしまう。ところで今日は休肝日。

仕事仕事仕事。

2004年11月2日
亀戸、南千住、町屋、埼玉八潮、夜に渋谷へゆく予定は明後日に延期になったものの、溜まったデスクワークで帰宅は何時になるコトやら…

↑結果、11時半に会社を出ました。いつものスナックで一杯。

>夜霧のネオンサイン様、

お気に入り登録させていただきました。11/1、香田さんの事件に対してのコメント、頷くコトしきりでした。
仕事。亀戸、埼玉八潮、南千住。

帰宅後、友人S姉弟に貸す約束の浦沢直樹『MONSTER』全18巻を未だ整理の終わらない段ボールの中から引っぱり出す。止せばイイのについつい読み出しちゃったらば…あっと言う間に深夜でございますよ。たっはー…寝不足です。
午前中はごろごろと。午後は仲間が久々5人集まったので、"BANG!"とゆうカードゲームを2回遊ぶ。詳細は後日。

夜は新小岩の居酒屋で飲んで終了。今日は早く寝る。

…かつて、自分もバックパックを背負ってあちこち旅してたものだから、とやかく言う資格も無いものなのだけれど。

彼の迂闊さを責めるのは簡単だ。でも、前回の人質事件の時にも書いたケド、ただひたすらに親御さんたちが哀しい。

二十歳を過ぎた人間が、飛び出してゆくのを止めるコトができる親なぞ、そうはいないでしょう? 親は、ただ子の安全を信じて待つしかない。
そして、何故辛い状況にいる人のところに心無い電話をかける馬鹿が多いのだろう。逆探でも何でもやって、そンな卑怯者どもは公衆の面前に晒してしまえばいい。

今の不安は、殺害のシ−ンが公開されてしまうコト。遺族は、これで二回、いや何回も息子を殺されるコトになる。殺害後、まだ公開されていないようだけれども、機械の故障でもミスでも何でも、撮られてないことを願うのみ。

ただ、自分探しの旅なンて格好つけられるのは若いうちだけなンだよなぁ。現実は否応なく、僕をひとつところに縛りつける。旅するコトを諦め、辛いもの、酷いもの様々な洗礼を受け、僕は大人になったつもりだ。ズルい大人だろうが、俺は何とかやってゆくつもりだ。
いつかはまた、先の見えない不思議な高揚感に追い回される旅、ひとりゆくあてを考えない旅にでたいものだと思いつつ、その思いはココロの奥の引き出しにしまって、俺は今いるココで日々を生きています。

そう思えるまでの時間がなかった、彼のご冥福をお祈りします。

仕事して飲んで。

2004年10月30日
朝から都内某地下鉄構内にて作業。午後1時ごろ終了。その足で埼玉八潮の下請けさんたちのトコをぐるぐると。午後5時半帰社。

夜は当社社長と、その幼馴染みでもあるH夫妻と新小岩にて飲酒。別れたあとでひとりいつものスナックにゆき、久々の泥酔状態…

仕事仕事…

2004年10月29日
亀戸、神楽坂、足立に埼玉八潮。

帰って、タモリ倶楽部見ながら不覚にも就寝。

…あぁー、新潟の中越の表記は、TyuuetsuではなくChuetsuのようで。思いかえせば首都圏にも中越運送のトラックは走ってるものなぁ。反省。

またぞろ世界が騒がしいものの、所感は先送りにしておきます。
大統領選に合わせたデカいテロルがありゃしないかと不安。だって、皆、もし自分が首謀者だったら狙うっしょ?

まぁ仕事ですな。

2004年10月28日
これが今ワタクシのやるコトよと働く日々。
埼玉八潮、草加、亀戸、大手町、渋谷。午後10時終了。

仕事仕事…

2004年10月27日
朝イチで墨田のメッキ屋さん。帰社して、電車で東京駅方面へ。アルバイトを動員しての大仕事。午後1時半まで。
地下での作業だったので、余震の揺れには気付かなンだ。地上にいたトラックの運ちゃんの話しでは震度3弱か?

午後には実家と連絡がとれる。コチラのコトなぞ心配してる暇があるなら、倒れるまで働けとはオフクロのコメント。おぉう、母よッ…

午後3時に帰社、そのあと葛飾、亀戸、埼玉八潮。何のカンので午後11時終了。

帰りにいつものスナックで一杯。

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