「…僕は君の内臓全般が好きだなァ」


新潮新書『被差別の食卓』(上原善広・著、’05/6)読了。

この違和感は何だろう。

自身被差別部落の出身者である著者の、世界各地の被差別民の"ソウル・フード"をめぐる旅。黒人奴隷、ロマ、ネパールの不可触民。
戦時下のイラクにまで足を伸ばす行動力には敬服するし、あれこれそれと紹介される食の数々も興味深い。だがしかし、なのです。
我も日本の被差別者なりと相手の懐に飛び込む取材手法に難はないか。

イラクのロマの少年にタカられて怒るくだり、ネパールの村に牛肉を持ち込み調理してもらうくだり。本人はこれが触れあい、連帯よとの気持ちやも知れないが、自ら序章で差別を受けたとの自覚のなさを吐露している。他国の被差別者からしてみれば、著者自身が遥か彼方の異国から来た豊かな旅人でしかない。

日本における差別の構造は、西と東で同質なものではない。著者の一族が置かれた状況が日本の総てに当てはまるワケではない。勿論、今この現代でも不等な、あまりに不毛な差別を受けている方々もいるだろう。だが一方で、いま大阪や京都で暴かれつつある卑劣な逆差別の構造もまた、ある。陽は暮れて途は未だ遠い。
著者の、世界の被差別者との同胞意識の根本は、力強いものとは思えないのだ。他人の家に土足で上がりこむ。この印象こそ、違和感のもとだ。

それはそれとして、本書で紹介される食のあれやこれやよ。どうしょうもない食いしん坊の僕の食指はもう大回転よ。フェジョアータ、なまず、チトリングス。熱すぎなくらいに揚げたフライドチキン(そう、これもまたルーツは被差別者の食卓だって!)。ハリネズミやザリガニはちと御遠慮させていただきますが、この健啖家をところどころで魅了したというならば、この本の価格は妥当です。興味をもたれたならどうぞ御一読あれ。今度大阪に行った時は、あぶらかすのうどんを腹一杯食べよう。

はじめて『橋のない川』を読んだ時の怒りと涙を僕は憶えている。不平等への怒り、運命を背負わされた人々への涙。今はどうか。無垢な激怒を忘れてはいないが、そう単純ではない世界のカラクリを垣間見てしまった。時は流れて、僕の根っこはあっちこっちとよじれてしまったけれども、まだ憶えていることがある。それだけは確かだ。

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