北海道にて我が子の帰還を待つ母。
母は、どこまでいっても母でしかなく、それが哀しい。

■お仕事

見積りを片付けて下請けさんをグルグルと。
南千住、墨田、葛飾、柴又、埼玉八潮、草加。
帰社して宅配便で商品の出荷手続きをして、雨の中を二子玉川へ。
デパートへ修理の必要な什器の引取りに。

■北海道の母の話。

まず書いておきたいコト。
北朝鮮から帰還した5人の時、ハンセン病の元患者の宿泊拒否の時もあったが、
嫌がらせの電話やらFAXやら送る人間ってのはどンな連中なんだろう。

確かに会見した、まず間違いなく左巻きの弟妹の醜悪な振舞いに
ついては今更何も言うまい。
しっかし、よく電話かけたりする暇があるよなぁ。仕事してないのかな。

どうしても、欲求不満を発散してる輩としか思えん。
こういった連中が、前の戦争の時もウヨウヨしてたンだろう。
一億火の玉だッて旗を振って、あれが非国民よと礫を投げ、
いざ戦争に負けたら被害者でございと立ち回る。

売笑婦を庇う聖者のように、石を持つ資格のあるもののみとは、言えない。
そンなに高潔に生きてるワケないから。

ただ思う。そンな情けない大衆のひとりにはなるまいと。

母の話。
馬鹿弟妹の髓液垂れ流し会見の前のインタビューで、
何故イラク行を止めなかったかとの問いに対して、

「三十を越えた人間が何らかの信念を持って行動することで、
たとえ親でも止められるものではなかった」

…との主旨の発言をしていたそうな。
無責任な発言とは思わない。全くそのとおりでしかないと僕は思う。
会見で舞い上がったバカ弟妹の発言について、母が謝罪をする姿を見る。
不覚にも涙しそうになる。

あぁ、ここにもひとりの母がいる。

子供らはいつか手前ひとりで大きくなったようなツラをして、
親を親とも思わなくなる。
変な思想や宗教にかぶれるのを止めることもできまい。
しかし、どうにもならなくなっても最後に手を差し伸べてくれるのは
親だけなのだ。そのコトに気付くのが遅いか、早いか。

弟妹の会見のトーンが変わった裏に、僕は母の叱責を感じた。
母はどこまで行っても母でしかない。暖かくも、ひたすらに哀しい。

しかし、ひるがえって世間を見れば、自分の子供を殺す親が増えている。

連れ子を虐待するバカが目立つが、何故、そのひとを愛するように、
そのひとの子供を愛するコトができないのだろう。

世界は確かに戦場だが、だからこそ弱者を虐げることを許したくない。
僕らの国は、もうお終いなンだろうか。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

最新のコメント

日記内を検索